瀬戸内海国立公園の一角、福山市「鞆の浦」。江戸時代末期、安政6年(1859年)に建てられた常夜燈に引き寄せられるように、多くの観光客が小さな港町を訪れます。
このあたりは、ちょうど満ち潮と引き潮がぶつかり合う場所だということで、瀬戸内海を行き来する船は、この港で潮の流れが変わるのを待ちました。いつの頃か、鞆の浦は「潮待ちの港」と呼ばれるようになり、万葉集の和歌にも詠まれています。
福山で育った私も、時々、港まで車を走らせ、海を眺めながら、ゆったり流れる時間に身をまかせます。この町では、地元の人たちが由緒あるお寺や昔の家並みを大切に守り、それが、変化の激しい現代社会にあって、貴重な「宝」になっているのです。
常夜燈のそばにある「雁木(がんぎ)」も、かつては全国の漁村で見られたものです。潮の満ち引きで、海面の高さが変わっても、舟を着けやすいように作られた石の階段ですが、港の改修が進み、これほど大きな雁木が残っている港は少なくなりました。
午後の光の中で、瀬戸の海を眺めながら、1000年を越える年月、この港町で繰り広げられた人々の営み、歴史に思いを馳せます。
ここは、1711年、鞆の浦を訪れた朝鮮通信使が、「日東第一形勝」と絶賛した風景であり、幕末の慶応3年(1867)には、この沖で坂本龍馬などを中心とする海援隊が運航していた「いろは丸」が、紀州和歌山藩の藩船と衝突、港に曳航される途中で沈没した「いろは丸事件」の舞台でもあります。
観光客の皆さんが、そぞろ歩きを楽しまれるのが、古い家並みの狭い路地です。吹き抜ける風に、何故か、懐かしさを覚えるのは、人々の暮らしの息吹が感じられるからに違いありません。
雑貨店を覗くと、鞆の浦だけで造られている薬味酒、「保命酒(ほうめいしゅ)」が目に入りました。江戸時代に大阪の医師・中村吉兵衛が、醸造業が盛んな鞆の浦の酒と合わせて造り出した「保命酒」。現在、4軒の保命酒屋さんが、その伝統を守っていらっしゃいます。老舗の「岡本亀太郎本店」にお邪魔することにしました。
この薬味酒の正式な名前は、「十六味地黄保命酒」。桂皮など16の薬味を、自社で醸造した味醂酒に漬け込んで造る「和製リキュール」です。
幕末には、黒船のペリー提督を迎えた宴席でも振る舞われたと記されており、「保命酒」が全国に知れ渡っていたことが窺えます。18種類のアミノ酸が含まれ、現代ですと、麦茶や炭酸水で割ったリ、カクテルにも応用されています。どうぞ、お洒落な飲み方で楽しんでください。
六代目当主の岡本良知さんが立っていらっしゃる店頭は、明治初期、福山城の長屋門が移築されたもので、福山市の重要文化財に指定されています。
万葉の時代から現代ではスタジオジブリのアニメ映画でインスピレーションの元になったという、伝統と文化がぎっしり詰まった港町、鞆の浦。
皆さんも、ゆったり「瀬戸内時間」を過ごしにいらっしゃいませんか?
アクセス 中国・山陽自動車道 福山東ICから車で35分程度。
住所 広島県福山市鞆町
文/宮川俊二
案内人/神原みお
写真/山本聖貴